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スピカ
 自分の鼓動も周囲の音も聞こえない。君の急いた心臓の動きと荒い呼吸が聞こえる。階段にも障害物にも構わずただ引きずられる乱暴な輸送が、ふわふわと心地よく感じる。血が出過ぎて痛みも流れ落ちたのかもしれない。
 持続する眠気の中で、目覚める度に感動的だったあの秋の感覚が戻ってくる。二度と光の届かない夢に落ちようとするとき、僕を抱く腕の存在に気づきはっとした。破滅する前の生活にこの熱はなかった。妄想の友人たちを振り払って、まどろみの外へ意識を伸ばす。  顔面がむず痒いのは切り傷が付いているからだろう。耳がほとんど聞こえないのは耳栓を着ける暇もない戦闘があったからだろう。鼻が利かないのは死臭を嗅ぎすぎたからだろうか。手に重なっている生ぬるいものは君の手だろう。君に抱かれているところは体があることが明確に判断できるけどそれ以外は自信がない。特に下半身はすっぱり寸断されているようだった。
 揺りかごみたいな振動は永遠に続く。君がどこを目指しているのか、僕らがどこから来たのか、いつから君に引きずられているのか分からない。
 自分の所在を求めて君の指に指を絡めると、卒然、虚ろに空気が通り抜けるばかりだった胸が、せきあうほど幸福でいっぱいになった。溢れかえる吐血にむせびながら、僕は笑い方を思い出した。
 君のしっとりと濡れた眼球から睫毛を伝って水滴が落ちてくる。なめらかな輪郭に髪の毛が貼り付いている。白い頬に一筋の切り傷が走っている。拭ってあげられないのは悲しかったが、それ以上に君を見詰める喜びがある。
 時折思い出したように体がわななくが、不思議と心は安らいでいる。余計な感覚が削ぎ落とされて、僕を覗き込む心配そうな君の顔が、もっとあざやかに見えてくるからだ。


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